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水間さんより(忘れちゃうんで)

http://www.nikaidou.com/archives/91368

以下メール紹介。それにしても、婚約報道がNHKだもんね、普通は政府発表でしょう。よほど皇室・宮内庁と官邸は悪いんだね関係が。誰のせいだろうね。まぁ俺に関係ないけど。

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●全国津々浦々まで拡散希望【国民と反日NHK・朝日新聞との最終決戦:この半年で伝統としての天皇の命運が決まります。残され時間はあと僅か!】

※写真は『ひと目でわかる「戦前の昭和天皇と皇室」の真実』の表紙と朝日新聞昭和29年1月11日夕刊の記事。





■このレポートは、オピニオン誌に発表する予定でしたが、予定を変更してインターネットに「転載フリー」として発信しますので、津々浦々あらゆるところに貼り付けていただきたいと願っております。天皇の伝統を御守りください。現在我が国は、安全保障問題もあり危機的な状況の只中にあります。だからこそ「皇統の安寧と安心」が求められているのです。


2017年5月17日の眞子内親王殿下の「ご婚約スクープ」は、昨年の7月13日の「天皇陛下生前退位の意向」と同様、またNHKのスクープから始まりました。

その後、共同通信が慌て「纏めて」各メディアに配信したことから「ドタバタ報道」がスタートしたことの情報は、某新聞社の記者から連絡がありました。その内容は、「19日に発表される天皇のご退位に関する特別法案の附帯条項に“女性宮家”を可とする文言」を記載する方向を滲ませていたとのことでした。

しかし、同18日、菅官房長官が「女性宮家等の問題はこの度のご婚約に左右される事はありません」との“趣旨“を記者会見で断言し少し鎮静化しましたが、今後、マスメディアの常軌を逸した異常な報道によって、二千六百数十年と百二五代の天皇の伝統は、風前の灯火の運命をたどることになる危機的な状況が目前に迫っています。

皇統断絶の危機であればこそ、天皇の直系遺伝子を受け継がれていらっしゃる「男系男子120名」の存在をマスメディアは報道する責務があるのですが、いまだにGHQの「犬」の役割を担っているNHK等マスメディアは、皇別摂家と旧皇族に「天皇の直系遺伝子を引き継がれていらっしゃる男系男子が120名存在」している事実を隠して報道しません。

天皇の「血が絶える」から“女性宮家“が必要と連呼しているメディアや専門家と称する輩(天皇の断絶を策しているGHQの犬)は、「今上陛下の血が絶える」と喧伝しているのであり「天皇の血が絶える」とは言ってません。なぜなら皇太子より「天皇の血が濃い」従兄弟が3名もいて、悠仁親王殿下よりも「天皇の血が濃い」又従兄弟が5名もいらっしゃる事を隠して、「皇統が断絶する」などと、連呼している小林よしのり氏などが本来の意味する「朝敵」なのです。

小林よしのり氏たちが、我が国の伝統を踏まえて「皇統が断絶する」と真面目に考えているならば、皇太子殿下より「天皇の血が濃い」従兄弟(旧皇族)の皇籍復帰を連呼するべきであり、現在も「やんごとなき」環境にいらっしゃる旧皇族や皇別摂家から数宮家の皇籍復帰は簡単なことなのです。これらの事実を知っていて、「女性宮家創設」を連呼していたとなると、秘かに皇統の断絶を望んでいた「朝敵」に他なりません。

その「男系男子120名」中の皇位継承順位「85位」の東久邇信彦氏(昭和20時生まれ、日本アマチュア野球協会名誉会長)は、母君が昭和天皇皇后両陛下の成子内親王で、昭和天皇皇后両陛下の初孫にあたりますので、民間から嫁がれた美智子皇后陛下と今上陛下の御子様の皇太子殿下より、天皇陛下の「血が濃い」ことは、解りやすく説明すれば「小学生」にも理解できるのです。

その信彦氏の弟君には秀彦氏(昭和24年生まれ、山階鳥類研究所理事長)と眞彦氏(昭和28年生まれ)がいらっしゃり、御二人とも皇太子殿下より「天皇の血が濃い」ことは、誰でも理解できることでしょう。《『ひと目でわかる「戦前の昭和天皇と皇室」の真実』(PHP研究所、2017年3月17日、明治天皇以降の家系図参照)》

ここで皆様に考えていただきますが、東久邇盛厚氏(84位)の長男信彦氏が「天皇の直系遺伝子の男系男子120名」中の皇位継承順位は「85位」なのですが、普通、東久邇盛厚氏の次男秀彦氏が「86位」、三男眞彦氏が「87位」と連想すると思われますが、「天皇直系の男系男子」が天皇の伝統ですので、「同120名」の正確な皇位継承順位は、東久邇盛厚氏の長男信彦氏「85位」の息子さんの征彦氏が「86位」で征彦氏の長男が「87位」になっているのです。ようするに東久邇信彦氏(昭和20生まれ)には、男系男子のお孫さんが1名いらっしゃるのです。

また、東久邇盛厚氏の次男秀彦氏の皇位継承順位は「88位」になっています。秀彦氏の長男基成氏が「89位」となり、基成氏の長男が「90位」になり、そして、秀彦氏の次男の基敦は「91位」となり、基敦氏の長男が「92位」になっているのです。ようするに悠仁親王殿下の又従兄弟が5名いらっしゃり、その5名の方たちも、悠仁親王殿下より「天皇の血が濃い」ことは、家系図を俯瞰すると一目瞭然になります(同書参照)。

東久邇盛厚氏の三男眞彦氏は皇位継承順位は「93位」となり、眞彦氏の長男照彦氏が「94位」、照彦氏の長男は「95位」、そして眞彦氏の次男睦彦氏が「96位」になるのです(同書参照)。

これらの事実を説明すると皆様方は、一様に驚きますが、戦後、何故このような大事な情報が封印されたかは、「昭和22年(1947年)、皇統の断絶を策して昭和天皇の直系親族以外を皇族から離脱させたGHQが「プレスコード30項目」を押し付けましたが、その第1項で『SCAP(連合国最高司令官または占領軍総司令部)批判』を禁止していたからです。それに違反するとメディアは解体されたのです。実際、同盟通信は昭和20年10月31日に解散させられました。また国民も占領軍の意向に逆らったら厳罰がまっていたのです。

これらの事は、中山恭子参議院議員との対談番組で詳しく解説してますので、是非、ご視聴ください。

■皇位継承順位参考動画【日いづる国より】司会:中山恭子(参議院議員・日本のこころ代表)ゲスト:水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)皇統を支える120名の男系男子 [チャンネル桜H29/4/28]
https://www.youtube.com/watch?v=0rH72S1StWE

この動画を視聴した米国やドイツ在住邦人の方から、男系男子が120名もいて徳仁皇太子より天皇の血を濃く受け継いでいらっしゃる男子が3名いることに二度ビックリしたが、安堵しましたと連絡がきました。

【皇別摂家】の男系男子は第107代後陽成天皇(在位期間:1586~1611年)と第113代東山天皇(在位期間:1687~1709年)の子孫の男系男子が現在51名いらっしゃいます。

まず、マスコミに露出している明治天皇の玄孫と称している評論家の竹田恒泰氏は、120名の「男系男子」の中での皇位継承順位は「108位」になっています。

現在、120名の「男系男子」には、旧皇族より皇位継承順位の高い【皇別摂家】(こうべつせっけ)の子孫が
51名もいらっしゃる事を認識しなくてはいけません。

「皇別摂家」とは、五摂家のうち江戸時代に皇族が養子に入って相続した後の三家(近衛家・一条家・鷹司家)およびその男系子孫を指す。江戸時代に摂家を相続した皇族は、次の3方です。

◆近衛信尋:第107代後陽成天皇の第4皇子。近衛家を相続。

◆一条昭良:第107代後陽成天皇の第9皇子。一条家を相続。

◆鷹司輔平:閑院宮直仁親王(第113代東山天皇の第6皇子)の第4王子。鷹司家を相続。

江戸時代までは、彼らのような出自を持つ人々を、「王孫」と呼んでいました。

この「皇別摂家」と皇室と旧皇族の男系男子が現在120名おり、その皇位継承順位は以下の通りです。

【皇室】

1位 徳仁親王
2位 文仁親王
3位 悠仁親王
4位 正仁親王

【皇別摂家】

5位 華園真準
6位 華園真暢
7位 梶野行淳
8位 梶野行良
9位 徳大寺公英
10位 徳大寺実啓
11位 徳大寺公信
12位 高千穂有孚
13位 高千穂宣比古
14位 徳大寺公忠
15位 徳大寺公仁
16位 中院泉
17位 住友芳夫
18位 住友隆道
19位 住友信夫
20位 室町公範
21位 室町公庸
22位 山本公慶
23位 山本実裕
24位 山本実裕長男
25位 山本実裕次男
26位 東儀季一郎
27位 東儀季祥
28位 東儀季祥長男
29位 東儀季祥次男
30位 東儀博昭
31位 北河原公敬
32位 北河原公慈
33位 北河原公仁
34位 北河原公史
35位 千秋李頼
36位 千秋李嗣
37位 常磐井理
38位 常磐井亘
39位 常磐井隆
40位 常磐井鸞猷
41位 常磐井慈裕
42位 近衛一
43位 近衛大
44位 水谷川忠俊
45位 近衛雅楽
46位 醍醐忠久
47位 醍醐忠紀
48位 醍醐忠明
49位 佐野常行
50位 佐野常武
51位 佐野常具
52位 南部利文
53位 南部利忠
54位 南部利博
55位 南部利昭

【旧皇族】

56位 筑波常遍
57位 筑波和俊
58位 葛城茂久
59位 葛城茂敬
60位 葛城宏彦
61位 賀陽正憲
62位 賀陽正憲長男
63位 賀陽正憲次男
64位 賀陽文憲
65位 賀陽宗憲
66位 賀陽健憲
67位 久邇邦昭
68位 久邇朝尊
69位 久邇邦晴
70位 久邇朝建
71位 久邇朝俊
72位 久邇朝宏
73位 東伏見韶俶
74位 東伏見守俶
75位 東伏見憲和
76位 東伏見睿俶
77位 東伏見禎容
78位 宇治家彦
79位 宇治嘉彦
80位 宇治家寛
81位 龍田徳久
82位 龍田吉光
83位 朝香誠彦
84位 朝香明彦
85位 東久邇信彦
86位 東久邇征彦
87位 東久邇征彦長男
88位 壬生基博(旧姓:東久邇秀彦)
89位 壬生基成
90位 壬生基成長男
91位 壬生基敦
92位 壬生基敦長男
93位 東久邇真彦
94位 東久邇照彦
95位 東久邇照彦長男
96位 東久邇睦彦
97位 寺尾厚彦
98位 東久邇盛彦
99位 粟田常一
100位 粟田彰彦
101位 アルフレッド稔彦
102位 竹田恒正
103位 竹田恒貴
104位 竹田恒治
105位 竹田恒昭
106位 竹田恒智
107位 竹田恒和
108位 竹田恒泰
109位 竹田恒俊
110位 北白川道久
111位 小松揮世久
112位 小松豊久
113位 上野正泰
114位 白川久雄
115位 伏見博明
116位 華頂博道
117位 華頂尚隆
118位 華頂博俊
119位 華頂博行
120位 伏見誓寛

【参考文献】
※古代豪族系図集覧

※宮廷公家系図集覧

最後にこの度の眞子内親王殿下の「ご婚約報道」に違和感を感じらていらっしゃる方々に今上陛下のご結婚に関わる朝日新聞(昭和29年1月11日夕刊)の記事【ことしの話題⑧皇太子さまの御結婚:やはり問題は家柄】から一部抜粋して掲載します。《新憲法では制限はなくなったが、やはり問題になるのは家柄。田島前長官は「つり合いというのは、どこの家の結婚の場合でも大切なことでしょう。皇室としても同じですよ」とハッキリしていた。孝宮さまは旧公爵家に、順宮さまは旧侯爵家に嫁がれたが、田島氏は「旧伯爵くらいまではまだしも、あんまり下ではね」ともらしていた。……去年からいろいろの雑誌が写真入りで紹介した。当の皇太子さまは側近には何もいわれないそうだが、学友に「ジャーナリズムはいやだナ」と不快げな表情をされたとか。選考に関係する人は宇佐美長官はじめ三谷侍従長、野村東宮大夫、それに東宮常任教育参与として別格の立場にある小泉信三氏といったところ。「年齢の差は二歳から五歳、皇后教育の必要もあろうから、婚約期間は
二年から三年ぐらいはどうだろうね」とこのうちの一人は語る。父陛下の場合は十八歳の時に二歳下の皇太子妃が内定、二十一歳で御婚約、二十四歳で御結婚された。……恋愛ざたが起きない限り、選考は次のような順序をとるみこみである。まず選考関係者の手により複数の候補者が選ばれ、皇太子さま自身の御意思と両陛下の御同意でお妃が選ばれる。そして最終的には皇室会議の承認で決定する。この会議は皇室典範により権限を持たされているもので、現在の議員は高松宮、三笠宮、吉田首相(議長)、田中最高裁長官、霜山同判事、宇佐美宮内庁長官、堤衆院議長、同副議長、河井参院議長、重宗同副議長の十氏である(終り)》と、現在と同じ皇室典範に基づいて、粛々と美智子皇后が皇室に入内された様子が解ります。

近現代史研究家・ジャーナリスト水間政憲

【水間条項国益最前線】http://ch.nicovideo.jp/mizumajyoukou

※水間政憲ブログ【水間条項】(転載条件‐全文掲載) http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/
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